2011-06-22

上馬三奇人 オナミさん

上馬停留所の前に小島屋という呉服屋があった。大きな店で繁盛を極めていた。ここの主人は養子で、番頭が直ったとも言う。ここには美人姉妹がいて、その番頭を競ったとのこと。それに姉が負けたのか妹が勝ったのかは知らないが、恋の争奪戦が火花を散らしたのだろう。
畠山みどりという歌手が「恋は神代の昔から」を唄ったのは昭和37年、恋の鞘当が同じ家で起きると、これは激烈を極める。畠山は北海道稚内の産、世田谷区上馬での恋の鞘当はオッカナイ。
負けた方がとうとう精神のバランスを崩して、座敷牢に入れられた。小島屋の裏手、生駒さんの隣の白鳥という家。ここにユウジという一年上の男の子がいて、この人の目つきが実に暗く、また性格もネチネチとして嫌な奴だった。三茶小を卒業し私立中学に行った。この子とバーどりあんの子、漫画の天才の勝比古さんが仲良しだった。後年、勝比古さんは父親が若い女と駆け落ちし、殺してやると探し回っていた。不幸な話だ。その点、三茶小の石塚先生はそうした追い回されることもなく亡くなった。世の中は不思議なところだ。
ないものねだりのような場で、子供がいない夫婦は欲しいと願う、子が多く、自分を付け狙うようになれば、いないほうが良かったと思う、自分がしでかしたことを棚にあげて考えるところに面白さがあるのだが、当人はそうは思えないもの。
さて、恋に熱を上げて破れし平家の公達あわれではないが、青葉の笛ならこうした文句だが、負けたのがオナミさん。白鳥の家は広く、玄関は改正道路に面していて、シェパードのジョンというのが放し飼いになっている。小島屋と床屋の国太さんの横丁からも入れる。やぶ蚊が多くて、鋭い高音を立ててすぐに飛んでくる。犬も怖かったがやぶ蚊にも悩まされた。あの頃は蚊帳がないと暮らしていけないほど。
蚊取り線香なんてのに負ける蚊はいないほど。ワンワンと飛んできた。その庭をオナミさんはウロウロする。そして奥まったところに肥溜めがあり、そこで用をたしていた。オナミさんの便所は外にあった。
オナミさんは礼儀正しい人で逢えば必ず挨拶する。髪の毛がぼうぼうで眼が赤く光らなければ普通の人とそんなに変らない。でも、着ている着物がヨレていた。そのオナミさんが時折風呂敷包みを持って出かける。後をつけてみると、パーマ屋のボンを通り、石川さんの家の前を抜け、高砂湯に入った。土屋さんもオナミさんを知っていた。このオナミさんは長生きをしたそうで90歳を越したという。
幸せではなかったろうが、人生は過酷な道場でイヤイヤでも長生きしなければならない。丁度今頃、梅雨の雨がしとしと降るのにもめげず、やぶ蚊に悩まされながらも、オナミさんの庭でグミをもいで食べた。ほろ酸っぱい味はオナミさんの人生の味だった。

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