2011-04-23

上馬の思い出18

酒場ドリアンには多くの客が来た。その中に来須野君の二階に下宿していた金子という玉電の運転手もいた。ドリアンではネコと呼ばれていた。指が太くてマージャン牌が小さく見えた。アルシャルマージャンだといっていた。これはマージャンの原点のようなもので、リーチマージャンとは違っているそうだ。毎晩飽きもせずにマージャンの客がきて、そのうち来なくなる。その人は借金が嵩んだためで、その借金は雀荘の主人、つまり、ドリアンが立て替えた。そのため、借金取りの仕事が勝比古さんい割り振られた。小学校へ入ったばかりの子供が借金取りに来るのだから、来られるほうはたまらない。なにがしかの金を握らせることになる。うまいやりかたに見えるが苦肉の策だったのだろう。もともと博打の金、請求できる筋合いでもないが、雀荘がほかになければ何とか都合しなければならない。勝比古さんも行き難いものだから私をさそった。行くと塩でもまかれそうな雰囲気のところもあった。それでもいつも一緒について回った。今でも借金取りに行った場所を夢に見る。博打の負けた金を払うのは嫌だっただろう。
博打は賭博と言う。賭博は博技と賭技に分かれる、博技は花札、マージャン、トランプなど自分が本気になってやる技、賭技は自分はしない、つまり競輪、競馬など自分は馬や自転車に乗って本気になって走るのではない。走る選手の一番、二番を当てるものを指す。両方一緒にして賭博行為という。床屋の国太の親爺がやっていたチンチロリンは博技で、国が博打を禁止したので違法行為になるが、ヤクザという商売があり、昔はこれで渡世していた人種がいた。彼等は賭場を開いて、そのカスリ、つまり掛け金の中から一定割合を開催料としてハネて残りを当てた人に分配する。一回ごとに計算をするため、相当に数字に強くないと勤まらないが、大学なんて行かない人がこれをやる。普段はぼんやりしているように見えても、博打場に入るといきなり顔つきが変わるような人もいた。神経が足の先から頭の先まで稲光しているような面構えになる。それでいて、普段は買い物してても釣銭を貰うのを忘れたりする。妙なものだ。
ヤクザの仕事を国が法律で奪い、自分たちが競輪場や競馬場を経営、宝くじも禁止しながら特定の銀行にさせる。矛盾だらけだが現実だ。こうした許認可には必ず裏があり、目こぼし料としてヤクザならぬ警官がカスリを取る。悪いことを助長するようなところが警察にはあり、どうも世の中は一筋縄ではいかない。時代が変り、子供のあそびだったパチンコが朝鮮人たちの手で遊戯となり堂々とパチンコ屋が乱立するようになり、これまた警察が介入し、警察とパチンコ屋の癒着を見る。さらに、パチスロなるものまで登場し、賭博行為はエスカレート、こうした賭博行為の横行の裏でヤクザ、正確に言えば博徒が生活の基盤を失った。ヤクザには二種類あり博徒と香具師、これはテキヤとも呼ばれタカマチで物を販売する。つまり行商人、タカマチと言うのは市で、全国の市日のカレンダーを売っているところもある。世田谷のボロ市なども大きなタカマチだ。
勝比古さんのモグリ雀荘もそれなりの面倒な借金取立ての作業があった。それでも客は入れ替わりながらも来て繁盛していた。そのマージャンの部屋にはガラスの箱に入れられた蛇がとぐろを巻いていた。青大将だという。それを勝比古さんは平気な顔で触っていたが、とても気持ちが悪くてさわれなかった。ある日、それが逃げ出して騒ぎになったが、二、三日したら、腹を大きくして台所のところで動かないのを見つけた。ネズミでも食ったのだろうと、吉田家は平気な顔、商売の神様だと、時折お神酒を飲ませていた。
勝比古さんのお父さんは昔ボクシングの選手だったそうで、グラブをつけた写真が何枚もあった。プロの選手だったというが、寡黙な人でめったに笑い顔を見せなかった。目が小さくて細かったが、女房はその逆で大きな目の人だった。勝比古さんはお母さんに似て目が大きかったが姉二人は父親に似ていた。
ある晩、ドリアンの店で皿の割れる音がして、客が怒鳴っていた。ドアを開けて、おかあさんが、「お父さん交番に行ってきてください、お客さんが乱暴しているんです」と声をかけた。お父さんは小柄だったが、頑丈そうな身体を起こして、直ぐにでかけようとした。木戸を開けて出ようとするのに、「おじさん、やっつけちゃいなヨ」と声をかけたが、情けないような顔を作って、そのまま交番へと走って行った。
上馬メトロで見た西部劇のようにはいかないのだと、半分わかって半分、面白くなかった。だって、おじさんはボクシングの選手だったんだろ、それなのになんたることかと、世間知らずの小学生は思ったのだ。おじさんの走る影に、ラジオからバッテンボーの曲が流れた。これは腰抜け二丁拳銃でボブ・ホープが歌ったが、ラジオから流れるたのはダイナ・ショアの甘い声だった。ボブは喜劇俳優として有名だった。この人は長生きで百歳で死んだ。バッテンボーはボタンとボウ(リボン)だ。が、こどもにはバッテンボーに聞こえた。ダイナも77まで生きた。