2011-05-11

三茶小の話6

三年生のとき駒沢小から三茶に編入した。寄せ集めの小学生をまとめる教師は苦労だったろう。互いに通う小学校をくさしていた者が統合されたのだ。中里小学校ボロ学校、入ってみたらボロ学校、駒沢小学校ボロ学校、入ってみたらいい学校と、くさしたり、くさされたりした者が一緒になるのだから、これは大変、最初は少々ぎごちない、しかし、それは子供のことだから、自然と溶け合う。そして、今度は新生「三茶小」の仲間になった。
私の担任は3、4年、そして5年まで横山隆一先生で、漫画家と同姓同名。この先生が三茶小の徽章を考案された。三軒の御茶屋と茶の葉だ。
桜の木から下りてくる毛虫が蝶にならないことを教えていただいた。蝶になる虫は裸で毛がない。青虫は蝶になり、毛虫は蛾になる。蛾は羽を広げて休むが蝶は閉じる。虫の世界にも決まりがあるんだと、感心したものだ。
横山先生はベルトを押えながら授業をした。それが腕組みになり、顎を撫でるようになり、教育委員会へと転じられた。先生は映写技師の資格を受講され、夏休みに学校で16ミリの映画会を担当された。娯楽の乏しいころだけに、その映画会は楽しみだった。先生は映画が終り子供たちが散っても、フィルムの整理に夏休みの校庭で上映した映画フィルムを巻き戻しておられた。校庭は暗い闇におおわれて、先生が作業をされるところだけ電球が点いていて、その電球の周りを蛾が飛び回っていた。カタカタ、シュルシュルとフィルムが戻る音がいつまでも続いていた。
教師は子供たちのために、寝苦しい夏の夜も、汗を流しながら映画会の後片付け、当たり前のような気がするけど、なかなか出来ることではない、先生の信念に視聴覚教育の重要性があった。これがテレビ時代、そして通信の普及でインターネットが誕生、先生は亡くなられたが、昨今の急激な社会の進歩を確認されたならば、満悦の笑みと共に顎を撫でられたことであろう。