2011-04-24

上馬の思い出19 メイド・イン・タモツ前編

三茶小で原田君が横山先生に廊下に立たされたとき、脱走をした話を記したが、これも立派な解決方法、人生は所詮、自分の気に入るようなものではなく、嫌だなと思うような方向に連れていかれるようなもの、まるで、子供の時に他所の家で食事に招かれたとき、嫌いな物が出る、嫌だから先に何とか口に押し込み、好きな順に食べ始めると、最初に食べた嫌いな物を皿に山盛りで出されたようなもの、余りおいしそうに食べているので、サア、どうぞで、泣きたくなるようなことだらけが人生だ。
そうしたとき、う・に・しの順が待ち受けるもんだ。先頭のうは嘘、追及されると誰でも嘘をいう、次が厳しく問い詰められると逃げる、最後のしは死だ。インドの諺にこんなのがある、立っているより座っているほうが楽だ、座っているより寝ているほうが楽だ、寝ているより死んだほうが楽だというけど本当か? 一度死んで戻ってきた奴がいないから、本当かどうかはわからない。
さて、上馬にメイド・イン・タモツって中学生がいた。学校に行きたくなくて、カバンを持って駒留神社の脇の公園や池の周りをウロウロしていた。私が小学校に入る前だった。生駒さんの隣の家が大平キエちゃんの家、この人は同級生だった。弟が二人いて、下の子はおかあさんにおぶさっていた。上の弟はシンチャンと言って、三歳か四歳だったろう、私のあとについて駒留公園のブランコで遊んでいると、メイド・イン・タモツが近づいてきて、「弁当を食わせてやる」という。喜んでシンチャンと一緒に駒留神社の木陰で弁当を食べた。また明日も来いヨ、弁当を食わせてやるからと言われ、翌日も食わせてもらった。おかずが少ししかなく、四角い弁当箱に飯がぎっしり詰め込まれていた。まだ、ほんのり温かかった。メイド・イン・タモツは原田君と同じように、学校に行くのを拒否して、公園でブラブラしていたのだ。
登校拒否のはしりかも知れない。試験がなければ学校ほど面白いところはないと思うが、学校が苦手だったのだろう。毎日弁当を食わせてもらっていると、メイド・イン・タモツがお前たち、オレの子分になれという。コブは食ったことあるけど美味くないというと、コブじゃない子分だ、オレが親分でお前たちは子分だという。何だかわからないけどウンというと、一宿一飯が仁義だから、お前たちは親分の言うことをきかなきゃいけないという、三宿は玉電の駅で三軒茶屋の先だけど、一宿はしらなかった。
お前たちと親分子分の盃を交わすから、あさって、オレの家に来いといわれた。メイド・イン・タモツの家は中野義高さんの斜め前の方にある。つまり、辻井水道工事屋さんの上馬駅よりだ。その家はパチンコの台を作っていたように思う。メイド・イン・タモツが公園で遊んでいる私とシンチャンを連れてタモツの家に行くと、小学校へ入る前の洟垂れが何人か並んでいた。家人は留守のようで、その留守を見計らって洟垂れを集めたようだった。六畳ほどの部屋の畳に座布団が敷かれ、上座にメイド・イン・タモツが座り、座布団の前におちょこが揃えてあった。タモツがそれを手にしろと告げて、そのおちょこにザラメを入れて廻った。タモツが入れて歩いている間に、それを舐めてしまった。皆、盃に酒が入ったなとタモツが言ったので、もう舐めたと私がいうと、しょうがない奴だと舌打ちしながら、もう一杯くれた。そして、揃いました、それでは固めの盃ですと言ってタモツが舐めて、皆も舐めた。舐め終わったのでさっさと帰ってきた。
「しょうがねえな、ザラメを舐めたら帰るのかよ」というので、お菓子はないんでしょと訊いてやった。ねえ、と答えたので帰る足が急に速くなった。
ある、雨が降りそうな日だった。丁度今頃の季節だったか、親分のメイド・イン・タモツが公園で子分の私とシンチャンに飯を食わせると、これからシマに行くと言い出した。シマって縦か横かと訊いたら、着物の柄じゃねえって力んでいた。メイド・イン・タモツのシマは三茶だという、ヤクザもんの話をどこかで仕込んできて、それを真似して、自分がメイド・イン・タモツ一家の大親分だと力んでいたのだろう。タモツは小柄だった。先頭に親分が歩いて、その後に私がヨタヨタ、シンチャンはヨチヨチ歩いていた。
何処をどう歩いたのか、三茶の裏にバクダンアラレを作っているところがあり、そこいら一帯は焼け跡のような感じで、屋台のリヤカーが何台も並んでいた。愚図っていた空がにわかに泣き出して、我々は屋台のリヤカーに潜り込んだ。板が敷いてありそこに大きな穴が空いていた。ラーメン屋台でもあったのか、釜をそこに嵌めこんだのだろうか、メイド・イン・タモツと私はその下にいて、シンチャンは上にいた。何を思ったのかメイド・イン・タモツがシンチャンにストリップをしろと命じて、私に歌を唄えという。勝比古さんのドリアンで覚えた青いカナリア、これもダイナショアの歌だ、これを唄うと、曲に合わせて一枚づつ服を脱げと三歳の男の子のシンチャンに言う。メイド・イン・タモツはどこでそんなことを覚えてきたのだろう。身体は小柄でもチンチンに毛でも生え初めていたのだろうか。続