2011-05-30

駒中の話4

教室に英語の先生が入ってきた。どうしても英語を勉強して熱海湯の裏のお姉さんのように言葉を理解し、人の役に立ちたいと張り切っていた。背の低い、あまり風采の上がらない人で、髪が長く鼻にかかるようなのを手で時折もちあげていた。
黒板に自分の名前を書いたら皆が笑った。井出孫六、六番目の孫なのだろう。長野県出身で東大文学部仏文科を出た。この先生は他の先生と異なり、何かキラキラと光るものがあった。風采は上がらず茶色の背広がことさら格好が悪く見えた。でも、何か違うものを感じ、英語の授業が面白かった。先生は黒板に絵を描きながらHAT、帽子だと思えと下手くそな絵を描く、都度、皆が笑う。あまりその笑いが長いと、手で制しながら静まれ、静まれという。静まれも古風な言い方だと思ったが、七人の侍で、このセリフが出てくる。先生は代議士の倅だと噂が流れた。
そんなような雰囲気もあったが、中学生にとってはそんなことは大した問題ではなかった。夏休みだか、冬休みだったかが終って学校に行くと、別の先生が出てきた。ニワという熊本県仙波山の産の人だった。途端に英語に興味がなくなった。この人の授業は面白くない。次第にやる気が失せて、英語の成績はふるわなくなった。
勉強は教える側の熱意を生徒が敏感に受け取るのだろう。井出先生がやめた理由は中央公論に入社したからだという。中央公論の何たるかも知らなかった。
そして、その井出孫六の名を昭和50年の新聞で見つけた。直木賞をとったのだ。その本を読んだが面白くないものだった。それでもやはり、あの先生の中に光るものがあったのは間違いがなかった。とても嬉しくて、誰かに話してみたかった。高校時代の友人に話したが、「そうか」で終った。
先生の中で弾けるような光を感じたのは私だけだったのだろうか、浜畑賢吉さんも井出孫六先生の素晴らしかったことをNHKのラジオで語っておられたことがあった。あれは昭和51年か2年、毎朝の番組だった。浜畑さんが三茶小、そして駒中の話をされ、それがとても懐かしく、そして誇らしく感じた。テーマ曲も厳選されたもので、南仏を思わせるような響きがあり、ラジオがあんなに豊かな時間をくれたのは、その時だけだった。NHKには駒中の同期の五十嵐さんが、今でもラジオに出ておられるが、こちらはお座なりで面白くも何ともない。やはり個性なのだろう。人を惹きつける役者を長くされている浜畑さんは、そこのコツをつかんでおられるのだろう。
井出孫六先生もご健在で健筆をふるっておられる。地味な作風ではあるが、鋭い視点が世に受けているようだ。駒沢中学にたまたま赴任された御縁ではあるが、私にとっては生涯の宝物の時間でもあった。それが一年にも満たない時間ではあったが、静まれの言葉と、帽子だと思え、牛だと思えと言いながら、黒板に向かって白墨を動かす姿が今でも眼に焼きついている。