2011-06-09

駒中の話13

磯崎みどりさんという沈まない太陽のような人がいる。こうした存在感のある人をたまにみかける。気さくで面倒見がよく他人のことでも放っておけない、いわゆる下町気質というのか肝っ玉かあさんというのか、ともかく女としては最高の部類に属する。
磯崎さんい元気をお出しヨと言われ背中をポンと叩かれれば、嫌なことや気になることなど途端に飛んで行ってしまう。
テレビの世界なら京塚昌子さんの役割だ。ともかくこせこせしない。人一倍嬉しがりやで、人情にもろい。三茶育ちという言葉があれば、この人こそ、それに相応しいだろう。この人は熱海湯の裏手におられた。近くには粕谷君、松成君などがいた。駒小に通学しておられ、小学校のころから存在感があった。中学生になっても、男の生徒が弱い者いじめをしているのを見ると、つかつかと寄って「いじめるんじゃないヨ」と平気で言う度胸のある人。
だからと言ってでしゃばることもない、つつましやかなところもあり、硬軟使い分けるというか、理不尽なことを眼にすると我慢ができないというのか、下町の人情を地で行く人。
同期会でも遠くにいても、ああ、おられると思うだけでほっとさせるものをお持ちだ。これを人間の徳といわずに何と表現するのだろうか。
東急のバスの車掌を務められた。昨今のバスはワンマン、むくつけき男が気の利かない案内をムスっとして車内に流す。昔は美人の車掌が大勢いたもんだ。今は時代が悪くなった。大井町にお住まいで、ここも下町、幾つになっても雀百まで踊り忘れずで、磯崎さんの沈まない太陽は周囲を明るく照らしているのだろう。
大井町、磯崎なんて名前を聞くと直ぐに思い出される。しばらくお逢いしていない。同期会というのは普段逢いたいなと思う人と声をかわすところに良いところがある。別段特別に伝えなければならないこともないのだが、どうしてる? 元気?なんて、とりとめのない話に無沙汰を詫びる気持ちがこめられている。
上馬停留所から真中に向かい、右側に平河屋というそばやがある。そこを右に折れると二股に道、それを左にとると伏黒さんの板金屋があった。そこの娘さんが三年生のとき同じクラス、同期会に彼女は遅れてきて、松井ちえさんと逢った。そのとき彼女は抱きついて泣いた。気のいい人なのだろう。松井さんは彼女の家から四、5軒先、幼馴染なのだ。松井さんいは弟がいて、剣道をやっていた。なかなか敏捷で、先の頼もしい子だったが、そのうち剣道はしなくなったそうだ。伏黒さんの家の近くからは引っ越した。それゆえ彼女は逢えて嬉しかったのだろう。人情の風はこうした、ふとした折に吹くもので、それがまた嬉しいものだ。
茶々若が担任だった二年生の遠足で、バスの中で宮沢さんがプレスリーのラブミーテンダーを歌った。煌めいた眼の賢い子だったが、その後をどうすごされたかを知らない。三年間押し込められた駒中をそれぞれが信ずる方向に飛び出していった。放された鳩か、猟犬のように、そして、今は人生の最終コーナー、どれもこれも懐かしく、あれもこれも知らないことだらけだ。