2011-03-22

三茶の思い出 1


玉電で渋谷から来ると、三茶手前の三叉路の上に小屋があり、そこに転轍機を操作する男が座っている。信号機に合わせてそれを左右に切り替える。それで下高井戸へ行くか二子玉川に行くのかが決まる。
 まるで人生みたいだなと中学生になったとき思ったことがある。左へ行くはずが右に行く、そんな人生を送るのじゃないかと不安に思った時、玉電の運転手が床のペダルを踏んだ。警笛音に小屋の操作員が手を上げて詫びた。ボンヤリして切り替えを忘れたのだ。その運転手には見覚えがあった。来住野君の二階を間借りしていた金子という人だ。寡黙な人で髭の濃い青ぞり頬の小太りな独身男、来住野(きすの)君も昨年死んだ。

三上伝次郎先生

昨年は三上伝次郎先生が春の叙勲で皇居で勲章を授与されました。積年の教育へ
の功績が認められました。先生、大変ご苦労さまでした。先生も八十を 越され
ましたが、足腰が少し弱くなられた程度で、相変わらずの紳士ぶりです。
祝賀パーティーには私ことアーチャン、そして土屋さんが出席しました。
訃報・昨年は五組の来住野さんが亡くなりました。しばらくして知ったため誰も
葬儀にも参加できません。我々もだいぶ歳をとりましたので、お互いに 気をつ
けましょう。
このブログに昭和三十年当時の三茶商店街の地図が掲載されています。あの頃が
鮮明に浮かんできませんか、我々の記憶にある懐かしい三茶を充分に偲 んでい
ただきます。
三茶の角近くに安西薬局があり、そこにオームがいた。あおちゃんという名前
で、あーおちゃん、おはようと声を出すのが珍しく傍に寄って眺めたが、 突
然、なにも言わなくなる。おはようと何度も声をかけるも黙して語らずだ。「ば
か」と言ったら、奥の主人に「悪い言葉を教えちゃダメだヨ」と叱ら れた。す
ごすご横丁に入りこむと、大森屋の洋品店に野武士のような顔つきの親父が渋面
をつくり新聞を広げていた。四組の大森さんの父親だが、大森 さんは可愛らし
い顔で、親子でもこんなに違うものかとしげしげと眺めると、視線を感じたのか
親父がこちらを睨んだ。