2011-05-12

三茶小の話7

中里と三茶の間に消防署があった頃、冬の夕暮れにてっぺんの望楼を巡回する消防士の姿が影絵のように見えた。遠く富士山が遠望でき、空が赤黒く夕焼けて、シルエットのような消防士がその中を廻っていた。
あの頃はまだ電話の普及も滞り、火事が起きると望楼から発見できた。今のようにいたるところに高層ビルが建てば、それはもう、役にも立たない望楼ではあるが、昔はそれでも役に立っていた。最初に黒い煙があがり、水がかかると次第に白くなる。消防士は火災発生でサイレンを鳴らして爆走する。
電話普及の悪かった昔は街中に赤い電信柱が建ち、そこにガラスで覆われた押しボタンがあった。火災発生時にはそのガラスを破り、そのボタンを押すと、消防庁に連絡が届く仕組みだった。指令を受け、消防車が飛び出し、路面電車に接触、怪我した消防士は自分を置き去りにしろ、火災現場に急げと叫んで絶命、消防車が火災現場に走ったが、いたずら通報だったと、私が小学校六年生の時、東京新聞に記されていた。
いたずらが人命に関わる一大事になってしまった。使命感に燃えた消防士の命は一体なんだったのだろうと考えたことがあった。
それでも学校に行き、わいわいと騒いで遊んでいるうちにそうした疑問は何処かへ飛んでいってしまった。
三茶小からその消防署に向かう途中に砂糖の卸し問屋があった。左側にあり、そこには毎日配送の車が停まっていた。ある日、アーチャンがポケット一杯のザラメを運んできた。その砂糖問屋の前にザラメの袋が破けて山になっていたので拾ってきたという。慌てて行ったが、もうなかった。アーチャンは時折黒砂糖も持っていた。どうしたのと聞くと、ああでもないこうでもない、落ちていたのを拾ったような、落ちてなかったようなとゴニョゴニョ、どうも破けた袋から顔を出していた黒砂糖が自然にポケットの中に入ったような言い方だった。アーチャンのポケットは不思議なポケットだったのかも知れない。