2011-05-10

三茶小の話5

校長先生は中村という牛乳瓶の底を眼鏡にしたような度の強いのをかけておられた。子供たちによく声をかけるかただった。得意そうに話すのをさもビックリしたように聞いていた。子供の自発的な発言を尊ばれておられた。
子供たちもそんな校長先生を知っているのか、よく声をかけた。しかし、子供の名前を覚えるのは苦手だったようで、よく間違えておられた。教頭はアライという初老の男の先生で理科が得手のようだった。六年生のとき、電気モーターの製作の時間があり、アライ先生が教えにこられた。電池で動かす小さなものを男の子も女の子も作った。小田切さんという三茶の世田谷通りに面した大きな洋服屋さんの娘は、色白で鼻筋の通った優しい話し方をして、工作などは不向きのようだったが、器用にコイルを巻きつけて完成させた。一番早くモーターを廻し、なかなか廻らない子に、コイルをしっかり巻くように教えていた。アライ先生もモーターの芯にしっかり巻かないと磁場が発生しないと教えられた。小田切さんの言うようにコイルを巻きなおしてようやく廻ったときは嬉しかった。
そんな小さなモーターが廻っても何の役にも立たないのだが、完成したことが嬉しかった。
この小田切さんは色彩的な感覚の鋭い人で、図画の時間になると、思いもつかないような色使いをしてみせた。中西君のようなデッサンに力はないが、色で面を表現する能力には驚嘆した。パステル調の色使いが面積の大小を現し、ことさら線をつかわずに物体の存在感を巧みに現した。
その洋服屋の店は○の中に誠と書かれた三茶でも屈指の大きな店だった。痩せてすらっとしていつも清潔な服に身を包んで、ニコっと遠くから微笑むと百合の花が風にゆれたような気がしたもんだ。アーチャンが「お前の店は大きくて金持ちで、いつもおいしいもの食べているんだろ」と言うと、「ところがそうでもないの、うちのお父さんは働いてくれる人がいるからこそ、お店を続けられる、だから、お店の人が食事をしてから家族が食べるんだというの、だから、いつも余り物ばかりよ」、アーチャンはびっくりした。お金持ちのお嬢さんだから、いつもおいしいものを食べているとばかり思い込んでいた。子供の心はそんなもんだ。小田切さんの店の奥に映画館ができて、学校から生徒がそろって見にいった。「小田切はこのまま帰れば家は目の前で便利なのに」とアーチャンが言うと小田切さんはニコっと笑った。余り口数の多い人ではなかったが、礼儀正しい子供子供した可憐な人だった。家族は店から家に入るのではなく、横丁から勝手口に入る狭い通路があった。背の高い小田切さんが、そこへ消えていく後ろ姿を見たことがあった。店名はマコトヤさんと言った。小田切さんというと、横丁の通路に消えていくイメージがいつもあり、存在の不確かさを感じた。その大店のマコトヤさんも、時代の流れで店は消えてしまった。
その小田切さんにも同期会で顔を見ることがない。これまた淋しい限りだ。
昔の話をしても誰も知らない、でも、確かにそうした時代があったんだ。そんな存在の不確かさを語れる仲間がいるからまだいい。独り言を言うようなれば、これはもうボケの始まりだが、さて、それもそんなに遠くないのかも。