2011-03-30

三茶の思い出9

NHKラジオで新諸国物語っていうのが始まり、その中に笛吹童子があった。
ヒャラーリヒャラリコと音楽が鳴り、ドラマに聞き入ったもんだ。
これを調べてみると、昭和二十八年の一月から十二月まで放送された。応仁の乱の後、丹波国満月城々主・丹羽修理亮には2人の息子がいた。武芸の達人である長男・萩丸に対し、次男・菊丸は、笛の名手で笛吹童子と呼ばれた。 2人は明国に留学していたが、面作りを学んでいた菊丸が作った白鳥の面が割れたため不吉を感じ、日本に帰国した。2人の留学中、満月城は野武士の首領玄蕃にのっとられ、修理亮は自害したことを知った二人は城を取り戻すため立ち上がる。
萩丸には東千代之介、笛吹童子は中村錦之助が映画で演じた。三茶の映画館は満員だった。伊藤勝さんが東千代之介の真似をしていたのを思い出す。この人は三上先生の家の近くに居住、三上先生は環七若林陸橋のそば、大きなビルを所有される資産家、先生は鷹揚で物事を大きく捕らえられる。それだけに失敗することなく資産を持ち続けられる。
世の中は先達を見習いながら生きることだ。その先生も昨今は足が弱って車椅子とのこと。ご自愛のほど。
さて、この笛吹き童子の歌は福田蘭童という人が作った。この人の父親が画家の青木繁、夭逝した天才画家だ。青木と福田たねの間に出来たのが福田蘭童、この人は無軌道な生き方をした人で、映画撮影の為にロケ地の大島へ向かう途中、船上で出演女優の川崎弘子と肉体関係を持った。これが「レイプ」として世間の批判を浴びた。(この事件については松竹蒲田撮影所の当時の所長、城戸四郎に責任をとるように迫られ、妻と離婚して川崎弘子と結婚した)。
このため、自分の子と離別する羽目、その息子が後にハナ肇とクレージーキャッツのメンバーとなる石橋エータロー。
福田は釣りと料理が趣味、後年の石橋エータローも料理を得手とし居酒屋を開いたほど。血は争えません。
笛吹き童子の流行した頃はまだテレビ時代ではなかった。ラジオにかじりついて聞いたけど、この番組は15分、翌日が実に楽しみだった。
私たちは四年生だったと思う、毎日遊んでばかりいたが、誰もそれをとがめもしなかった。子供は一日おもしろおかしいことだけを探す。定年退職した今も同じようなもの。だが、あのころのように仲間が回りにいないのが寂しい。ちょうど、夕暮れ時になって一人へり、二人が家に帰ったあのころのような、身体を寒い風が吹きぬけるような妙な感じです。