2011-06-18

駒中の話20

横山君とは三年生の時同じクラス、この子は三茶小の卒業生、おとなしく余り騒いだりもしない真面目な生徒、普段は居るんだか居ないんだかはっきりしないけど、言うべきときにはピシャリとやらかす。由比君という賢い子がいて、後に東工大に進学し、喫茶店を経営したという変り種、この人も三茶小の卒、矢沢君という駒沢の角に薬局があり、そこの経営者になった人は瀬戸物屋の佐藤君と仲良し、ヤジャワとかオヤジと呼ばれていた。いつもニコニコとしていて人に不快感を与えない。
同じクラスに浜野さんがいて、この人はラファエロの絵に出て来る聖母マリアのような顔立ち、少少太り気味だが優しいしゃべりかたで、男の子から人気を得ていた。それに矢沢君がはまって、浜野、浜野となにかと言えば浜野の名前を出す。どういうわけか矢沢君は結婚もしなかった。角の薬局も違う店に変った。矢沢君はいつもと同じように眼を細めて同期会にも出てくるが、浜野さんは顔を見せない。あれだけファンの多かった人だけに残念至極だ。
三年間一緒だった生徒に野間さんがいる。この人は後年医者になられた。無類の賢さで、負けん気も強く、スポーツもと万能、この人の賢さに期待する教師も多く、他の生徒はともかく野間さんに判るようにと、いつも教師の視線は向いていた。と、いうことは野間さんの近くにいない生徒は適当にできたわけで、有難い存在でもあったが、近くに座ると絶えず教師の眼がサーチライトのように遊弋(ゆうよく・艦船が海上を往復して待機すること)するので、おちおちできない。これは情けないものだ。緊張感が解けないだけに時間が長く感じられる。
この頃、ドリスデイの先生のお気に入りという歌が流行った。ドリスの名を高めたのはヒッチコック映画の「知りすぎた男」のケセラセラ、この歌の導入の見事なこと、一躍世界のドリスに躍り出た。この頃はドリスの時代だった。
何だかで、野間さんと言い合いになって、横山君が「何言ってんだ、ティーチャーズ・ペットが」とやらかした。これは「先生のお気に入り」の歌を指した。あまりのタイミングの良さに思わず吹いたことがあり、後年、これを野間さんから詰られたことがあった。三年間も同じクラスにいながら、私を擁護・弁護してくれても良いのではないのかの意味がこめられていたが、軽妙洒脱な一語に参ってしまった。
横山君はその後、地下鉄に勤務され、立派に勤め上げたと聞く。この人とも卒業以来逢ったことがない。松本アチッチが昨年、自分の大病復帰の会を催し、それに浜野さんも出席したという。その浜野さんを見て、自分のことも忘れ、あの美人の浜野があんなになっちまったと嘆いた人がいたという。
若い頃と異なり、頭ずりむけの禿げやビヤダル腹を突き出す様を、今更嘆いても始まらない。昨日や今日体型が変ったのではないのだ。積年の報いで今更、泣くな嘆くな男じゃないかだ。子供の頃は酒もタバコもやらなかった。それを毎日飲めば、毒を飲むのに等しい、生きているだけでもよしとするべき。