2011-03-23

三茶の思い出2

玉電の通りを中里に向かうと途中から軌道が道路から離れ専用道を走る。その先に天皇陛下の乗馬用鞭をつくるデカシさんの家があった。デカシさんは一年先輩で、いまでも乗馬用鞭を作っている。場所は府中に移転、それをNHKのテレビが紹介したことがあった。その上馬寄りに美人姉妹のいる和泉屋パンやがあった。そこの横を入り三茶小に向かうと三叉路があり、お地蔵さんがあった。右に中村さんの家、庭に柿木が一本はえていた。ひょろひょろした木だった。その三叉路を左にとると及川さんの家の並びに来住野君の家。母親は着物の襟に、てぬぐいをかけて目のしょぼしょぼした長屋のおかみさんという風合い。雑巾で始終家の中を拭いていた。床板なども黒光りして塵一つなかった。父親は寡黙な人で玉電上馬駅に向かう改正道路の左側の鉄工屋に勤めていた。その来住野くんはタクシーの運転手になった。上町近くのタクシー会社だった。来住野くんは上馬を去り町田の団地で暮らしていた。
 来住野くんの家から和泉屋パンやへ向かう途中の左側に駄菓子屋があった。パーマ屋のボンの手前だ。その駄菓子屋の店先に大きなゴム風船が当たるクジがあった。なかなか一等が出なくていつも巨大なゴム風船がその位置を確かなものにしていた。
 クジの残りが少なくなった時、めずらしく親戚のオジサンから小遣いを貰い、その銭を握りしめ駄菓子屋に走った。残りのクジを全部買った。最後のクジで必ず当たると信じていた。ところがハズレだった。色黒の固太りのオバサンに言った。「全部買ったけど一等が出ないヨ」婆さんは小ズルイ顔をしかめて笑い顔をつくり、「ああ、そうだ一等は奥にしまっておいたんだ」とクジを出してきた。一等を最初から隠しておいたのだ。
 大人のズルさを痛感したのが、この駄菓子屋のオバサンを初めとした。あの頃、我々のような年寄りだったのはいつも頭を椿油で撫で付けたパーマ屋ボンのお婆さんだけだった。小柄で小粋な着物を達者に着こなしていた。その婆さんが生駒武久くんの染物屋の横丁のドブをまたいで小便を垂れた。どこかで芸者だか仲居をしていたことがあったと聞いた。大人にも色々あるもんだと、小学生だったが納得したのを覚えている。