2011-04-21

上馬の思い出16

ドリアンは果物の名前、とても臭い食べ物だが根強いファンがいる。個性の強さに魅かれるのだろう。酒場ドリアンの勝比古さんの兄さんもなんとか比古と言った。海幸・山幸の海彦・山彦も本当の名は比古だそうだ。男は昔は比古をつけたと吉田家は言う。
勝比古さんの母親は少々ならずくたびれた風情だった。どこか身体が悪かったのかもしれないが、大層言葉の綺麗な人だった。言葉は教養を表すから大事だ。でも、三茶近辺の悪ガキにはそんな洒落たのはいなかった。自分勝手に親が使う言葉をそのまま使った。私の祖母は新潟県長岡の出だった。高等女学校に行ったのが自慢で、時折、スコットランド民謡などを唄っていた。女学校で習ったんだと得意げだったが、女学校すら知らない悪ガキに、それを吹聴しなければならない境遇境涯だった。
祖母は長岡の資産家の娘だったそうだ。親戚もそう言っていたので、本当なのかもしれないが、私の家は貧乏神の御殿のようなもので、神様が居ついて離れなかった。なにしろ御殿で社だから、神様が住んでいて当然だった。世の中自体が戦後の混乱で、食うのが精一杯で、時折洩らす祖母の愚痴を聞いて、銀シャリの握り飯を運んだくらいだ。自分より人を喜ばせたいと本気で思っていた。今ではそんな気にはならない、他人に自分が食ったことのないものを貢ぐ気にはなれはしない。自分の胃袋に収めてしまう。それが本心なのだが、あの子供の時はどうしてそんな気になったのか、今でも不思議だが、そうした純真な心を子供は誰でも持つのかもしれない。
勝比古さんの母親も繕いものをしながらスコットランド民謡を歌っていた。昔は洗濯機などなかったから母親は洗濯物と戦っていたものだ。それを拡げたりたたんだり、そして破れ目、ほどけ目を繕っていた。そんな仕種がどこの家でも当たり前の光景だった。
勝比古さんの母親に、「おばさんも女学校に行ったの」と歌を聴いて訊いた。針仕事の手を止めて、「どうして判ったの」「だって、スコットランド民謡は女学校に行かなきゃ習わないでしょ」
おばさんの顔が西日が射したように紅潮した。「ええ、楽しかったわ、でも遠い昔になってしまった」と、針仕事の手を動かしながら涙ぐんでいるように見えた。悪いことを訊いたのかなと思った。そして、また、歌を細い声で唄いはじめた。人は悲しいとき、嬉しいときに歌を唄い気をまぎらせる。歌にそんな力があるのを知ったのは、それからずっと後、悪ガキが人生の落とし穴に落ちてからだった。