2011-04-15

中里の思い出4

商店街を抜けると民家が列なり、やがて宇田川君の所に行き着く。宇田川園という造園家で地番のひと区画を所有しておられた。大きな家では堀口さんも大きかった。キューピー人形のような大きな目の女の子で、家に入るには鉄扉があり、門柱も大きく立派でたまげたもんだ。宇田川君の植木が立ち並ぶのを横目に三茶小に通ったが、セセコマシイ自分の家と違って、どうしたらこんな大きな屋敷をもてるのかと不思議に思った。そして、その不思議は六十年経っても解けない謎、あいも変わらぬ狭い家で呻吟しているのも妙。貧乏人は生涯変る事がないのかもしれない。
宇田川君の一族もどう滑って転んだのか、その土地を手放されたそうだ。お兄さんが長く世田谷区議会議員をされていた。もっとも、今の日本の税制では三代続く金持ちはいないそうだ。一億国民細分化され、皆貧乏人になっちまう。これも妙な話だ。
この宇田川君の家の近くに高砂湯という銭湯があった。上馬の話でも記したが熱海湯ができるまでは高砂湯にでかけた。石川さんの家の前を抜けて、曽根君の家の角を曲がって行った。曽根君の家の前角に大きな楠が生えている。
アーチャンが言った。「この木は六十年は経っている」「アーチャン、おれたちが子供の頃も大木だったよ、あれから六十年も経ったから、この木は百年は超えているよ」「そうか、そうかもしれない」
アーチャンは自分の歳を忘れている。年取ってくると昨日のことは今日になりゃ忘れる。ところが子供の頃のことは、昨日のように思い出す。もう、六十年も経っているのに。人間てのは不思議だ。まして、その場所に行けば、ありあり、まざまざと思い浮かべるけど、あの可愛い少女の大川さんは逢いたくとも逢えない所に行ってしまわれた。
黒人霊歌に「オールド・ブラック・ジョー」というのがある。我も行かん、はや、老いたれば、かすかに我を呼ぶ…
まだ、呼ばれる前にしなければならないことがある、六十年前のことどもを忘れないうちに記さねばならない。私たちの子供の頃の三茶はこんな時代、こんな町でしたと、それが我々年寄りの務めなのだ。
だから、少年探偵団の歌を唄いながら三茶界隈を歩いている。駒中の修学旅行のときだったか、大里君と生駒君が少年探偵団の替え歌を歌って歩いていた。ぼ、ぼ、ぼくらは少年愚連隊、このもと歌は勿論、ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団だが、愚連隊ってのが渋谷で幅をきかせた時代があった。それを巧みに替え歌にしたのだが、面白くて思わず笑ったことを覚えている。この少年探偵団に怪人20面相が出てきて、昨今これがK20という名の映画になった。これは江戸川乱歩の小説だが、ラジオで放送されたことがあった。昭和25年の四月からNHK第二放送で毎週金曜日に放送された。我々が丁度一年生の頃、明智探偵と小林少年、胸がドキドキしたのを思い出しただろうか。その後民放が誕生し、方々の局でも放送する人気番組、江戸川乱歩はマイナーな推理作家だったが、これで一躍桧舞台に飛び出し、光文社が少年探偵団シリーズを発刊し莫大な利を上げた。後年、乱歩が地主に土地の買い上げを迫り、困った乱歩が光文社に相談、一年分の印税前払いをしてもらい急場をしのいだ。乱歩は終生これを恩義に感じたという。