2011-04-18

上馬の思い出13

改正道路を若林の方にだらだらとバケツを持って降りていくと、丁度谷になったところに蛇崩川があった。駒留神社の手前にあたる。両岸は土で川幅もかなりあるように思えたが、今行ってみると狭いので驚く。もっとも今は暗渠になっているので、往時の面影は全くない。ここにバケツを持って流れに入り込み、土手の川面近くの穴に手をつっこむとアメリカザリガニが両手のはさみを拡げて威嚇してくるが、遠慮も会釈もなく、どんどんバケツに突っ込む。日本ザリガニは小さく、こいつらに脅かされて小さくなっていた。丁度進駐軍に追いまくられた日本人のようなものだ。
アーチャンはその大きなアメリカザリガニを選んでとって、家に持ち帰って煮て食った。海老と同じ味だったという。あんな美味いものがタダで山ほどとれたんだから、いい時代だったよとしみじみ。
私は日本ザリガニをとって洗面器で飼っていた。えさになにをするかで困ったが煮干を砕いてやった。暫くすると赤ん坊のエビガニが沢山出てきた。ちっこくって可愛かった。少し大きくなって、駒留神社の前にひょうたんのような池があり、そこに放した。大きくなったらまた遊ぼうと小さな声で言った。
アメリカザリガニは赤くて大きく、その中でも特に大きいのをマッカチと呼んだ。アーチャンも同じようにマッカチと言っていたから、皆がそう言っていたのかもしれない。マッカチは偉そうに大きなはさみを振上げる。持ち上げて腹を見ると、尻尾の内側に丸い玉があり、それをマッカチのちんぼこだと言う。それを押すと痛がるのか、余計にはさみを振上げた。面白くて何度もやったが、やられたアメリカザリガニは困った小僧だと嘆いていたのかも知れない。
ひょうたん池には亀がいた。結構大きかった。大人の手のひらより大きかった。ある日をれをとって生駒さんの家に行ったら、神様の御使いだから返してやらなければいけないと、お酒を飲まして、また池に返してやった。昔の人は神様のいることを信じていたのだ。
でも、駒留神社に神様はいないのを知っていた。
毎日のように蛇崩川とひょうたん池をうろうろしているうちに、駒留神社の神主の子供と仲良しになった。なんでも、この神社のほかにも神社を守っていて、神主の父親は忙しいんだという。丁度その日は父親が帰ってくるのが遅い日だから、ご神体を拝ませてやるという。喜んで社殿にあがり、奥のほうに連れてってもらった。階段の奥に三方に乗った白木の箱があり、その蓋を開けた。覗き込んだが、子供のげんこ程の大きさの石が入っているだけだった。がっかりした。あんなもののためにわに口を鳴らして拍手を打ったのかと思うと急に馬鹿らしくなった。神主の子供は偉そうに、「いいものを見ただろう」と言ったので、「うん」とだけ応えて家に急いで帰り、祖母にご神体は石だぞと告げたら、「そういうことは言うもんじゃない」と叱られた。「でも、馬鹿馬鹿しいだろ、あんなものを拝むなんて」と更に足すと、「皆知ってるんだよ、でも、神様は皆の一人ひとりの心のなかにあるもんで、ご神体が石だろうと木だろうと、何でもいいんだよ、信ずる力のある人にとって、形はなんでもいいもんだ」それでも納得できなかった。大人は馬鹿だと思ったが、この歳になってそれが判るようになった。