2011-04-14

中里の思い出3


原田君の八百屋はデブチン八百屋と呼ばれた。父親の体格が良かったからだ。この八百屋の店先の猿が人気者で商品のバナナを内緒で猿に食べさせたのはアーチャン。アーチャンと原田君は仲が良く、成人してからも交流があった。原田君も体格が良く少林寺拳法を習っていたという。アーチャンと路上でボクシングをして汗をかいたあと、野沢の町を歩いていた。すると三人連れが因縁をつけてきた。アーチャンが何を!って言う間に、原田君が一人の襟首を摑んだかと思うと投げ飛ばした。続く二人目も同様に宙に浮いた。それを見た三人目は逃げ出した。原田君は三人ぐらいは屁でもなく投げ飛ばす。四人だとちょっと困る程度。
この原田君が三茶小の五年のとき、横山先生に廊下に立たされた。何か悪ふざけでもしたのだろう。横山先生の名は横山隆一で、漫画家と同姓同名、我々が六年生になるとき、教育委員会に転じられた。視聴覚の担当をされた。授業にも録音機などを導入し、それが役立つかの実験をされたこともあった。
その原田君が廊下から消えた。横山先生は青くなった。皆で手分けして探したが何処にもいない。学校の外だろうと見当をつけそれぞれが探しに行った。結局、横山先生が見つけたのだが、諸君、原田君は何処に居たと思う? 三茶の映画館に入り込んでいたのだ。
我々悪ガキは金なんてなくとも映画館に入り込む手立ては知っているのだ。それから、原田君もアーチャンも廊下には立たされなくなった。先生が懲りて教室の中に立たせた。昔はこうした体罰は日常茶飯事、誰もそれが悪いとも思わなかった。廊下に立たされてもめげない原田君は立派だった。
その原田君の八百屋を訪ねたらアパートになっていた。日本の税制が悪く、同じ土地を三代持ち続けるのが難しい。相続税が過酷だから。原田君の家はそれを耐え忍んでアパート経営で立派だ。そこで写真を撮ったが、昔我々は少年探偵団、ところが今はヨレヨレの老人探偵団、懐かしさに尻押しされてあっちでパチリ、こっちで休むと、なかなか昔のようには歩けませんヤ。