2011-03-31

昭和30年ごろの三茶商店街6


電話局からの続き斉藤米やまで

上馬の思い出1

昔は家庭に風呂なんかなかった。皆が銭湯に行ったもんだ。風呂に毎日入る人などおらず、あの爺さんは毎日風呂に行くんだってと不思議そうにみられたもんだ。
上馬に熱海湯ってのが出来た。前からあった風呂屋が空襲でやられたんだか、煙突だけ立って、流し場のタイルがむきだしだった。そのタイルをはがしてビー球がわりに使っていた。
そのうち風呂屋が出来ることになり、中里の高砂湯まで行かなくてよくなった。熱海湯は片田さんという人が経営していた。丁度、生駒さんの家の前にあたる。広い通りがあり改正道路と呼ばれた。幻に終った東京五輪のために作られたが上馬から若林までしか舗装してなかった。そこが環七になったわけだが、車なんてのは滅多に通らない。だからガキ大将たちの格好の遊び場だった。
昭和27年の4月にラジオドラマで空前の大ヒットを飛ばしたのが「君の名は」だった。これが映画になった。佐田啓二って二枚目が、これまた美人の代表の岸恵子が相手役になった。これで岸は松竹の看板女優となる。岸は78歳で存命、佐田の倅が中井貴一、佐田の本名は中井寛一、37歳で交通事故で没した。女優で随筆家の中井貴恵も娘。
佐田は京都の産、早稲田に進学し下宿したのが佐野周二の家、本名が関口正三郎、(倅が関口宏)この縁で松竹に入社した。高橋貞二、鶴田浩二、佐田啓二と二が付く俳優が戦後三羽烏ともてはやされた。確かに佐田には知的な色男の良さがあった。
上馬には映画館があり、その名を「上馬メトロ」と言った。ライオンが吠えるシーンが先頭にある、MGM映画のことを指した。
そこに「君の名は」が来たかどうかはわからないが、菊田一夫作の、このラジオドラマが始まると、銭湯の女風呂ががら空きになると言われた。これは松竹が映画のための宣伝文句だったらしいが、熱海湯の女風呂はその時間でも大勢の人が入っていた。
この主題歌を織井茂子が歌った。芸大出の声量のある人で、生涯のヒット曲となった。