2011-06-02

駒中の話6

一生のうち新築の家に入居できるということは、そう滅多にあることではない。気概を持ち自分の力で家を新築する、できるは男子一生の本懐。まあ、こうしたことは運命の巡り会わせもあり、そう簡単ではないが、駒中で図書館の新築にでくあわした。
タンチ山のてっぺんに図書館が建ち、それはモダンな建物、ガラス部位が多く、外光をふんだんに取り入れたもので、林校長が無音館の名を冠した。得意満面であったことだろう。
三茶小の三上先生が駒小の百周年で校長になっておられ、その栄誉を拝した。こうしたことはなかなか巡りあわないもの。
世の中の金と女のようなもので、太田蜀山人が言う。「世の中は金と女は仇なり、どうぞ仇に巡り会いたい」
それに巡り会ったのだから、これは少々ならず得意の絶頂、しかし、こうしたことも長く生きてきたからこそ理解できるが、当時の中学生にはさっぱりわからぬことでもあった。
今井ムツオ君という短距離で滅法早い人がいた。この人はフライング気味に走り出す。アレレ、でもセーフかという走りで、見ているほうは気が気ではない。
この人が世田谷区の中学対抗陸上競技のリレーの選手、アンカーが原君、野球の名手、今井君がスタートをフライング気味に出て、一回目の警告、二回目もやらかしファウル失格、それを知らないリレーの選手、号砲一発、各ランナーが一斉に勢いよく、放たれた犬のようにまっしぐら、ところが今井君がそこにイマイで、唖然・呆然と立ちつくす、結局オジャン。
図書館が新築なったので、珍しく早く学校に行く気になった。新築の建物が気になっていたのだ。私が一番先に来たと信じていたら、今井君が芝生で足を投げ出し、本を読んでいた。人の気配を感じて読んでいた本を閉じた。声をかけると何やら恥ずかしそうにしている。読んでいた本は分厚い聖書だった。クリスチャンでもあったのか、それを訊くのがはばかれて、その場を退散したことがあった。
この今井君と三十代の終わりに偶然、新大久保で逢った。彼は中村屋のスーパーの店長をされていた。いつも店先で商品を並べたり販売したりと忙しそうだった。顔を見るたびに声をかけたが、相変わらず人の良さそうな笑顔をみせてくれた。
私も新大久保に疎遠となり、今井君のその後は知らない。新大久保の名を聞くと、今井君のことが思い浮かぶ、駒中でもなく山手線の新大久保が今井君との接点になったのも、妙なものだ。
人生は色々なことに出くわし、様々なことに振り回される。都度、泣いたり喚いたりするけれども、過ぎ去ってみるとほろ酸っぱい味がする。今井君とはそれ以来逢っていないけど、何処かの空の下で、ぽっと又会えるような気がする。