2011-06-01

駒中の話5

小学生の時は担任が全ての教科を指導、ところが中学校は専門分野の先生が指導。小学校は家庭の延長上のようなもので、父親なり母親が指導しているようなものだが、中学校は世間と同じで大人の世界をかいまみるようなもので、実にこれが新鮮だった。
雷魚の木村という体育の教師は、後年クラス会に呼ばれ、そこで長生き体操の話を一席ぶった。当時、木村の雷魚先生はどこだかの体育大学教授、これは大した出世、話の呼吸も飲み込んだ先生だけに、実に生徒に受けたそうだ。ところが、すぐに亡くなった。長生き体操をしても効果がなかった。おかしいけど事実。
人の生き死にだけは誰も決めることはできないものだ。人見君という実に真面目な子がいた。成績も優秀で教師になったそうだ。佐藤君と仲が良く、店に遊びに来たそうだ。佐藤君は駒沢停留所のそばで瀬戸物屋をしていた。結婚して中目黒で果物屋を営んだ。そこに、人見君が顔を出した。なんでも勤務先がその近くだったようだ。
いつも談笑するのが、なんだかろくに話もしないで返ったそうで、その後に自殺したという。生きていることに飽きてしまったのだろう。ロマン・ローランが言う。「ねえ、君、人生ってのはね、生きたり望んだりすることに飽きてはいけないのさ」と。
長生きも芸のうちの言葉もある。無芸大食漢でも長生きできれば芸があったということだ。どんなにつまらなく、面白味のない人生でも、過ぎてしまえば短い。それをネエ君、ことさら短くすることもなかろうヨとロマン・ローランが言いそうだ。
体操の先生に沖という女性がおられた。旅行好きな先生で夏休みを利用して各地を飛び回る。立山というところでトロッコ列車に乗ったのヨ、その切符の裏に命保証せずって書いてあるの、凄いところもあるものよ、ネエ。授業の合間にそんな話をされた。その先生も若くして亡くなった。
世田谷の深沢に日体大があり、そこから講師が来た。坂口という筋骨隆々で苦みばしったいい男、体操が終って深呼吸するとき、腕を大きく上から下に下ろし、それを左右に拡げて呼吸を整える、その時に「隣のを握るなヨ」という。皆が笑うと受けたとニヤリ。隣の人の金玉を握るなという意味。何度言われても皆が笑ったもんだ。性に目覚める頃だけに、そんな話は馬鹿うけだ。その坂口先生も若くして死んだ。体操の先生は早死になのだろうか。三茶小の石塚先生もそうだった。血の気が多いのは何となく理解できるが、生き死には実に不思議なものだ。
駒中に金子という憎めない顔の好青年が教師として赴任してきた。元気の塊のような人で人気もあった。この人は髪の毛を気にされて、いつもポマードで固めておられた。ところがほどなくして河童はげになられた。世の中は一字違えば大違い、はけに毛があり、ハゲに毛が無し。生き死にと同じに毛のあるなしも自分で決めることが出来ないのも妙。
大見川先生という職業家庭科だったかの教師がおられ、この先生は実に包容力のある先生で、駒中の近くに部屋を借りておられ、そこに遊びに行った。リンゴ箱を利用して窓から出入りしておられた。住宅事情の悪い頃で、アパートが借りられず、普通の家の一部屋を借りておられたのだ。玄関は大家の部屋に近かったのだろう。皆、苦労しながら生活されたものだ。あの頃と今とでは天と地ほどの開きがあり、住宅事情も改善され、どの家も水洗便所になった。その分人間関係も希薄になり、何でも水に流れて壊れて消える。