2011-04-11

上馬の思い出12



昔、遠山の金さんてのがいて、大岡越前守忠相と向こうを張り合う、金さんは北町奉行、大岡は南町、一月ごとに交替で奉行所を開いた。今のように方々に警察署はなく、民事も刑事も裁いたから忙しい。質屋の数はそばやの数ほどあった。大質屋と小質屋があって、小質屋は近所の品を扱う、必ず質入人に保証人を立てる。小質屋は蔵なんかなくて、質入された品物を持って大質屋に入れに行く。大質屋は小質屋に金を貸し、蔵に荷を入れる。他人様の物を預かるから蔵は頑丈に出来ていて、防火対策も講じてある。大質屋は小質屋を子分にしていると思えば判りやすい。
そんな時代に腕に桜のほりものをしたのが遠山の金さん。本当は桜吹雪じゃない。腕に一つだけ桜を彫った。ところが侍でそんなヤクザなことをする者はいないから大げさに取り沙汰され、テレビでもろ肌脱いでの大見得となるが、あれは嘘。
遠山の金さんと同じように、世田谷にも金さんがいた。
上馬の駅から改正道路を若林に向かい中野さんの家を過ぎると左側に辻井金三郎商店があった。この人が辻金、泣く子も黙るほど、それは少し違うんだけど、警察官が交通事故の処理に困ると頭を下げて教えを請いにきた。交通事件の示談屋? ちがう、保険屋? ちがう、ここは水道工事の店でいつもハーレー・ダビッドソンがとまっていた。ハーレーのバイクは格好が良く、誰彼の別なくそれを眺めたもんだ。昭和二十五年ごろのオートバイは外車しかない。国産だとメグロ、陸王などがあったが、やはり外車は格好が良かった。三共製薬が当初、ハーレーダビッドソンから許可を得て日本国内のみ製造販売、これは戦前も昭和9年の話で、このハーレーをもとにして陸軍にサイドカー付きのバイクを納入したのが陸王。当初は750CCだった。
メグロは品川区桐ヶ谷火葬場の近くで昭和25年に250ccのバイクを生産。当然ハーレーの人気が高いが関税が高く目の玉が飛び出るほどの値段。ところが、この辻金さんはそれを所有しておられた。仲間の愛好家が時に何十台もハーレーを辻金さんの前に並べ、ツーリングに出かける。
中野さんの話ではハーレー愛好会の会長をしておられて、交通法規や事故などのことに精通、だから警察官が頼りにした。さらに、この人は腕相撲のチャンピオン、腕に荒縄を巻いて力を入れるとブツリと切れる。うーん、物凄い腕の力だ。まるで日本版スターローンだ。皆が一目も二目も置いた人。こうした人だけに商売も順調、店を方々に広げられた。我々悪ガキが知っているのはここまで、私たちより年上だけに亡くなったことだろうが会社は今でも大きいままで盛業中。
遠山の金さんのほりものの話は生駒さんから教えてもらった。刺青とは言わない、刺青は島送りの人間や牢屋に入れられた人が腕にした。背中のくりからもんもんは彫り物と言った。倶利伽羅もんもんは雲の沸き立つところというアイヌ語。これは自分で勉強したから間違いない。