2011-04-25

上馬の思い出20 メイド・イン・タモツ後編

メイド・イン・タモツって変な名前の中学生がいて、洟垂れを子分にした。自分の弁当を子分に食わせて親分を気取った。三茶をシマだと言って中央劇場の裏あたりが原っぱだった。そこにラーメン屋台のリヤカーがあり、そこでシンチャンにストリップを強要した。音楽を担当させられ、私が歌を唄ったが勝比古さんの酒場ドリアンで聞いた外国の歌のメロディーを適当に唄った。ジョンウェインの黄色いリボンも、湯の町エレジーも歌ったが、シンチャンが雨が降るのに裸にさせられ、エンエンと声をあげて泣き出した。雨は音を立てて振り出した。すると近所のおばさんとおぼしき人が傘をさして通りかかり、「あらやだ、この子は裸になってどうしたんだろう」とシンチャンを覗きこんだ。得たり賢しとばかり、シンチャンが大声を上げて泣き出すと、おばさんはシンチャンに服を着せ始めた。
「なんで裸にしたの」とメイド・イン・タモツは叱られた。私が「ストリップやれってメイド・イン・タモツが言ったんだ」と告げ口すると、「嫌だね、子供のくせにもうそんなことを考えて、まったくロクなもんにならないよ」と言いながらすっかりシンチャンに服を着させた。「早く帰るんだよ」と言っておばさんは消えた。
シンチャンは泣きながら歩きだした。私もシンチャンの手を引いて雨の中を移動する。メイド・イン・タモツも仕方がないので後からノタノタとついてくる。中里へ向かう専用軌道敷まで来るとシンチャンは道がわかったのか、泣き声もたてなくなり、ただひたすら雨の中を上馬めざして歩く。また、専用軌道敷が切れて、天皇陛下のムチを作るデカシさんの家の前を通ると、シンチャンは自分の家の近いのを知って、声を上げはじめた。私とつないでいた手を放し、両手で双眼鏡を作り声を上げて泣きまねだ。目をふさぐと歩けないので双眼鏡を作って泣きまねしたのには利口だなと感心した。
和泉屋の角に来て、私は右に折れた、そのままシンチャンといると泣かせたと思われるのが嫌だった。メイド・イン・タモツが後ろから声をかけてきたが、知らぬふりで家に帰った。メイド・イン・タモツと一緒にいると何か悪いことが起こりそうな雰囲気だった。
私の家に交番の巡査が時折顔を見せ、四方山話を聞かせていた。祖母は太りぎみで余り外に出ない。そのため巡査の話をよろこんで聞いていた。そんな日、コロシがあってね、と耳寄りな話をはじめた。どこで、とか女なのかとか、私が口を挟むと、祖母は子供は外で遊べと私を追い出した。今聞いたばかりの話を生駒さんの家に駈けていって話した。するとタケヒサさんの兄のカズオさんが出てきて、「どこで」、「あっち」、「誰が殺した」、「ウーン」、「どこで、誰が殺したの」と詰められ、苦し紛れに「メイド・イン・タモツ」と言ってしまった。メイド・イン・タモツが殺すわけはないだろう、途端に嘘つき、センミツのあだ名を頂戴することになった。う・に・しの法則が小学校入学前の子供にもあてはまった。
これを言い出したのは警視庁捜査二課の刑事で、最近になって図書館で借りた本にでていた。犯罪者は必ずこのう・に・しの線をたどるそうだ。メイド・イン・タモツの家はパチンコの機械を作っていた。中野義高さんに確認したところ、間違いなくパチンコの機械が家の前に並んでいたという。昨今はパチンコ機械メーカーが大儲けをする。メイド・イン・タモツもその後、パチンコ機械を作っていたら大金持ちになったのかもしれない。パチンコ屋の前を通ると六十年も前のメイド・イン・タモツを思い出す。