2011-06-20

駒中の話22

生駒さんが通学途中に声をかけてきた。「三橋美智也の東京見物、あれいいよね、負けずに島倉千代子が東京だよ、おっかさんというのを出してきた、三橋のは男ぽいけど、島倉のは女らしさが出ていて、あれもいいよ」
実にその通りだ。この曲は昭和32年、もはや戦後ではないと言われた時機、それでも総理大臣のそんな発言をよそに、子を亡くした母の哀れは消えずに、靖国神社に足が向かった。島倉の泣き節は彼女の八の字眉と同じに、女の嘆きを見事に現した。作曲は船村徹、この人は時折、胸に沁みる歌を作られる。日本人の琴線に触れる見事な歌をものされる。
歌謡曲衰退と言われる昨今でも、やはり、浪曲が日本人の心の原点であるように、時に触れ折にあたっては耳の奥で唸るような響きが聞こえる。それが日本人の心なのだろう。
福島の相馬、ここには相馬の野馬追いの伝統行事があり、農家はこのために一年間馬を飼い続ける。雲雀ケ原で甲冑をつけ馬を駆り、旗指物を背に本気になって一番を競る。
狼煙と共に空中高く打ち上げた神旗を落ちてくるところに馬を走らせ、ムチでそれを奪い合う神旗争奪戦もまた眼に焼きついてはなれない。
相馬にはこうした祭りを延々と繰り広げてきた馬を愛する風土があった。それが、東京電力の粗相で原発被害で中止になった。
人類は良くなっているのだろうか、悪しくなっているような気にさえなる。我々の子供の頃は貧しくとも楽しかった。今は高いビルで窓を締め切り、冷暖房がなければ仕事にならない。まして、階段を昇降するにはエレベーターなしでは仕事にならない。だから、電力を多量に必要とする。昔は裸電球だった。それが蛍光灯になりLEDと変った。冷房なんてのはなく、皆が団扇であおいでいた。それが扇風機から冷房装置へと変り、我慢を忘れてすぐにいがみあうようになった。ささいなことでキレル。情けない話だ。
愛ちゃんはお嫁にの鈴木三重子の父親が唄う新相馬は何度聞いても胸に沁みる。日本人の原点だ。今はその地から追い出され漂白の民とされた。情けないことだ。東京電力は大罪を犯した。しかし、その詫びの言葉もないのはどうしたことだろう。
日本人はいつしか、詫びる心、責任をとる始末をつけるを忘れてしまった。戦争中、多くの若者を特攻隊で死なせたことを詫びて阿南中将は割腹、戦争犯罪人の汚名をきることはなかった。
日本人には美徳があった。それも死後となってしまった。でも、この船村の歌のように、時折、我々の忘れてしまった心を思い出させるものがある。昨今では吉田旺作詞の紅とんぼ、これに船村がいい曲をつけた。諸君らもご記憶のことと思う。1988年テイチクから出た。
空にしてって 酒も肴も今日でお終い 店じまい五 年ありがとう 楽しかったわいろいろお世話になりましたしんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏 紅とんぼ思い出してね 時々は
歌謡曲は日本人の原点、アメリカンポプスもよかったが、歌謡曲も忘れられない。