2011-04-10

上馬の思い出11

和泉屋のパン屋は三木(みつき)さんと言った。美人美男の家系で、どの人も格好が良かった。朝早くパンを焼く職人をお兄さんがこなしていた。昔はヤマザキパンなどがないから、どこのパン屋も自前の窯を持って朝早くから働いていた。
松の木精米店と和泉屋の間の通りを抜けるとパンの焼けるいい匂いがしたもんだ。昔はパンは高級な食べ物だった。今のように色々な調理パンがあるが、昔は食パンとコッペパンしかなかった。アマショクってお菓子のようなパンのようなものがあったが、これはかなり高かったような気がする。手のひらにのる程度の大きさなのに値がはった。めったに食べられない代物だった。
和泉屋にケーキが並んでいた。美味そうだが高くて食べたことがなかった。デコレーションケーキっていうものを初めて見たのも和泉屋だった。クリスマスの時期になると、幾つもの大ぶりのデコレーションケーキが並んだ。一度食べてみたいと念じていたが、四人兄弟、祖母も同居していたので家計が逼迫で、それどころではなかった。歳末になると商店街が福引売り出しをする。買い物をすると金額に応じてクジがひけた。その当時に手回しの抽選機があり赤球ははずれ、白は残念賞などとランクに応じて景品が引き換えられた。
弟が抽選機を廻すと商品券があたり、それもまあまあの金額、早速家族会議で何と交換するかを相談。ああでもないこうでもないと勝手な熱を吹いてなかなか決まらない。結句、当てた弟の好きなものを交換しろとなり、喜び勇んで弟が走りだしたと思ってください。
さて、何と交換してくるかと心待ちにしていると、和泉屋のデコレーションケーキの図抜け一番。美味かったのと、タダで食べられたので弟に感謝しながら初めて食べたケーキの味、どんなだったって? もう昔のことだから忘れてしまったけど、大ぶりのケーキを見るたびに貧しかったけど楽しかった上馬のことを思い出す。
和泉屋の娘さんが隣の電気屋のおかみさんになったけど、その子供たちも血筋で目鼻立ちが整っていた。長男がケンイチさん、次男がトシミさんと言っただろうか、この子を生駒さんが見て、「将来映画俳優になれる」と断言。たしかに幼い子供ながらも品格があった。この子が父親がスピーカーの修理を店先でしているとき、外したスピーカーの木箱に頭を突っ込んで抜けなくなって泣き始めた。我々が色々と手立てをこうじるが、痛がって泣くばかり、それを聞きつけた父親が、足を持って逆さにした。なるほど、この手だで、難無く抜けた。その子はケロリとして又遊び始めた。
私は駒中を卒業すると移転をしたので、その後、この子がどう成長したのかを知らない。きっと良い男になったことだろう。家系なのだから。