2011-06-21

上馬三奇人

上馬に奇人が三人いた話を書いて一応第一話の完結とする。インターネットが伝達媒体の有力な手段だと信じていたが、我々世代は時の流れに乗れずに埋没。閲覧者の数も伸びることなく終る。時代は変りインクと紙媒体の伝達手段にしか頼れない我々世代なのだろう。若手の閲覧を期待したが三月経過しても一向に増加しないので、休止の宣言だ。
我々世代に昔は良かったと語るのは易いが、それでは郷土史としての意味がない。我々世代を踏み台にして、若手の書き込みの中で、積層する世田谷・三茶・駒中を立体化できないかと考えたが無理のようであった。
さて、年寄りの嘆きは置いて、上馬の奇人一番は「ロケットしんちゃん」昨今はクレヨンしんちゃんだが、それよりも前に登場した。
この人は玉電とケンカをするのを信条としていた。いつも浴衣を着ていた記憶がある。右手に竹杖を持ち、玉電の軌道敷近くで電車の来るのを待ち構える。電車が近づくと左のふくらはぎを右足先でこすり始める。
間合いを計っているのだ。佐々木小次郎の燕返しではないが、しんちゃんの心臓がドキン、ドキンと音を立てているのだろう。この様を近所の連中も心臓の音をドキン、ドキンとしながら見守る。当れば即死、そこまでいかなくとも怪我は間違いない。
足かきが忙しくなり、そして、5・4・3・2・1ドカン!
しんちゃんロケットの発射。
見事電車の前を通過し、反対側に逃げ込む。運転手がボウっと音を立てて危険だぞ、馬鹿野郎の代わりに警笛のプレゼント、それをにやりと笑う不適さ。
このロケットしんちゃんは弦巻まで名が響いていた。高校の友人の姉が上馬? ならロケットしんちゃん知ってるでしょ?
有名人だったのだ。それにしても、何であんな危ないことを得意としていたのか、それが謎だからこそ、ロケットしんちゃんなのだろう。
それでも時折、かわしそこねて電車に撥ねられてオイオイと泣いているのを見たことがある。交番の巡査もロケットしんちゃんだけに、電車の運転手の肩を持つ。それも当然だが、泣いているしんちゃんは哀れだった。
玉電の架線の修理に盆踊りの櫓のようなトロッコが来る。いつも夏の近くだった。これが生駒さんの近くに夜間放置される。今度はこれに登って大騒ぎをしたもんだ。改正道路で寝転んで星を眺めたこともある。冬になって空っ風が吹くと凧揚げで走り回った。車も来ない改正道路は子供たちの天国だった。
それが環七になり、寝転んでいれば殺される。悪い時代になったもんだ。どうも時代は悪くなっているような気がする。時代に取り残された我々はインターネットの波にも取り残された。玉電とケンカをして負けたロケットしんちゃんのような気分だ。

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