上馬停留所の前に小島屋という呉服屋があった。大きな店で繁盛を極めていた。ここの主人は養子で、番頭が直ったとも言う。ここには美人姉妹がいて、その番頭を競ったとのこと。それに姉が負けたのか妹が勝ったのかは知らないが、恋の争奪戦が火花を散らしたのだろう。
畠山みどりという歌手が「恋は神代の昔から」を唄ったのは昭和37年、恋の鞘当が同じ家で起きると、これは激烈を極める。畠山は北海道稚内の産、世田谷区上馬での恋の鞘当はオッカナイ。
負けた方がとうとう精神のバランスを崩して、座敷牢に入れられた。小島屋の裏手、生駒さんの隣の白鳥という家。ここにユウジという一年上の男の子がいて、この人の目つきが実に暗く、また性格もネチネチとして嫌な奴だった。三茶小を卒業し私立中学に行った。この子とバーどりあんの子、漫画の天才の勝比古さんが仲良しだった。後年、勝比古さんは父親が若い女と駆け落ちし、殺してやると探し回っていた。不幸な話だ。その点、三茶小の石塚先生はそうした追い回されることもなく亡くなった。世の中は不思議なところだ。
ないものねだりのような場で、子供がいない夫婦は欲しいと願う、子が多く、自分を付け狙うようになれば、いないほうが良かったと思う、自分がしでかしたことを棚にあげて考えるところに面白さがあるのだが、当人はそうは思えないもの。
さて、恋に熱を上げて破れし平家の公達あわれではないが、青葉の笛ならこうした文句だが、負けたのがオナミさん。白鳥の家は広く、玄関は改正道路に面していて、シェパードのジョンというのが放し飼いになっている。小島屋と床屋の国太さんの横丁からも入れる。やぶ蚊が多くて、鋭い高音を立ててすぐに飛んでくる。犬も怖かったがやぶ蚊にも悩まされた。あの頃は蚊帳がないと暮らしていけないほど。
蚊取り線香なんてのに負ける蚊はいないほど。ワンワンと飛んできた。その庭をオナミさんはウロウロする。そして奥まったところに肥溜めがあり、そこで用をたしていた。オナミさんの便所は外にあった。
オナミさんは礼儀正しい人で逢えば必ず挨拶する。髪の毛がぼうぼうで眼が赤く光らなければ普通の人とそんなに変らない。でも、着ている着物がヨレていた。そのオナミさんが時折風呂敷包みを持って出かける。後をつけてみると、パーマ屋のボンを通り、石川さんの家の前を抜け、高砂湯に入った。土屋さんもオナミさんを知っていた。このオナミさんは長生きをしたそうで90歳を越したという。
幸せではなかったろうが、人生は過酷な道場でイヤイヤでも長生きしなければならない。丁度今頃、梅雨の雨がしとしと降るのにもめげず、やぶ蚊に悩まされながらも、オナミさんの庭でグミをもいで食べた。ほろ酸っぱい味はオナミさんの人生の味だった。
2011-06-22
2011-06-21
上馬三奇人
上馬に奇人が三人いた話を書いて一応第一話の完結とする。インターネットが伝達媒体の有力な手段だと信じていたが、我々世代は時の流れに乗れずに埋没。閲覧者の数も伸びることなく終る。時代は変りインクと紙媒体の伝達手段にしか頼れない我々世代なのだろう。若手の閲覧を期待したが三月経過しても一向に増加しないので、休止の宣言だ。
我々世代に昔は良かったと語るのは易いが、それでは郷土史としての意味がない。我々世代を踏み台にして、若手の書き込みの中で、積層する世田谷・三茶・駒中を立体化できないかと考えたが無理のようであった。
さて、年寄りの嘆きは置いて、上馬の奇人一番は「ロケットしんちゃん」昨今はクレヨンしんちゃんだが、それよりも前に登場した。
この人は玉電とケンカをするのを信条としていた。いつも浴衣を着ていた記憶がある。右手に竹杖を持ち、玉電の軌道敷近くで電車の来るのを待ち構える。電車が近づくと左のふくらはぎを右足先でこすり始める。
間合いを計っているのだ。佐々木小次郎の燕返しではないが、しんちゃんの心臓がドキン、ドキンと音を立てているのだろう。この様を近所の連中も心臓の音をドキン、ドキンとしながら見守る。当れば即死、そこまでいかなくとも怪我は間違いない。
足かきが忙しくなり、そして、5・4・3・2・1ドカン!
しんちゃんロケットの発射。
見事電車の前を通過し、反対側に逃げ込む。運転手がボウっと音を立てて危険だぞ、馬鹿野郎の代わりに警笛のプレゼント、それをにやりと笑う不適さ。
このロケットしんちゃんは弦巻まで名が響いていた。高校の友人の姉が上馬? ならロケットしんちゃん知ってるでしょ?
有名人だったのだ。それにしても、何であんな危ないことを得意としていたのか、それが謎だからこそ、ロケットしんちゃんなのだろう。
それでも時折、かわしそこねて電車に撥ねられてオイオイと泣いているのを見たことがある。交番の巡査もロケットしんちゃんだけに、電車の運転手の肩を持つ。それも当然だが、泣いているしんちゃんは哀れだった。
玉電の架線の修理に盆踊りの櫓のようなトロッコが来る。いつも夏の近くだった。これが生駒さんの近くに夜間放置される。今度はこれに登って大騒ぎをしたもんだ。改正道路で寝転んで星を眺めたこともある。冬になって空っ風が吹くと凧揚げで走り回った。車も来ない改正道路は子供たちの天国だった。
それが環七になり、寝転んでいれば殺される。悪い時代になったもんだ。どうも時代は悪くなっているような気がする。時代に取り残された我々はインターネットの波にも取り残された。玉電とケンカをして負けたロケットしんちゃんのような気分だ。
我々世代に昔は良かったと語るのは易いが、それでは郷土史としての意味がない。我々世代を踏み台にして、若手の書き込みの中で、積層する世田谷・三茶・駒中を立体化できないかと考えたが無理のようであった。
さて、年寄りの嘆きは置いて、上馬の奇人一番は「ロケットしんちゃん」昨今はクレヨンしんちゃんだが、それよりも前に登場した。
この人は玉電とケンカをするのを信条としていた。いつも浴衣を着ていた記憶がある。右手に竹杖を持ち、玉電の軌道敷近くで電車の来るのを待ち構える。電車が近づくと左のふくらはぎを右足先でこすり始める。
間合いを計っているのだ。佐々木小次郎の燕返しではないが、しんちゃんの心臓がドキン、ドキンと音を立てているのだろう。この様を近所の連中も心臓の音をドキン、ドキンとしながら見守る。当れば即死、そこまでいかなくとも怪我は間違いない。
足かきが忙しくなり、そして、5・4・3・2・1ドカン!
しんちゃんロケットの発射。
見事電車の前を通過し、反対側に逃げ込む。運転手がボウっと音を立てて危険だぞ、馬鹿野郎の代わりに警笛のプレゼント、それをにやりと笑う不適さ。
このロケットしんちゃんは弦巻まで名が響いていた。高校の友人の姉が上馬? ならロケットしんちゃん知ってるでしょ?
有名人だったのだ。それにしても、何であんな危ないことを得意としていたのか、それが謎だからこそ、ロケットしんちゃんなのだろう。
それでも時折、かわしそこねて電車に撥ねられてオイオイと泣いているのを見たことがある。交番の巡査もロケットしんちゃんだけに、電車の運転手の肩を持つ。それも当然だが、泣いているしんちゃんは哀れだった。
玉電の架線の修理に盆踊りの櫓のようなトロッコが来る。いつも夏の近くだった。これが生駒さんの近くに夜間放置される。今度はこれに登って大騒ぎをしたもんだ。改正道路で寝転んで星を眺めたこともある。冬になって空っ風が吹くと凧揚げで走り回った。車も来ない改正道路は子供たちの天国だった。
それが環七になり、寝転んでいれば殺される。悪い時代になったもんだ。どうも時代は悪くなっているような気がする。時代に取り残された我々はインターネットの波にも取り残された。玉電とケンカをして負けたロケットしんちゃんのような気分だ。
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